私の浪人体験記。E判定からの大逆転

浪人体験記 大学受験

本日は、国立大学2次試験の2日目。

いまこうしてサラリーマンとして働いている私も、ちょうど8年前に初めての大学受験を経験し、そして全滅しました。そして、その後1年間を浪人生として生きることになります。

今日は、8年前~7年前、私がどのような浪人生活を送っていたのかを時系列でご紹介します。

高3:東工大と早稲田大に落ちる

センター試験前

東工大をあきらめた

時は2013年1月。

高校1年生からそこそこ真面目に勉強を続けてきた…気になっていた私ですが、第一志望だった東京工業大学(東工大)への合格をあきらめることにしました。模試ではE判定しかとったことがありませんでしたし、過去問を見ても全く解けるようになる気がしなかったのです。

これは当然の結果でした。東工大の入試は非常に難しいことで有名でしたが、私は中途半端な難易度の問題演習を繰り返すばかりで、応用問題に対応する力をさっぱり養っていなかったのです。

模試E判定
模試ではE判定以外を見たことが無かった

志望校を早稲田大に変更

そうなると、選択肢は2つ。大学のレベルを落として現役合格を狙うか、浪人して来年に東工大に再チャレンジするか。

浪人するつもりが全く無かった私は、前者を選択。「早稲田大学現役合格」に照準を合わせました。

早稲田大学も東工大と並んで最難関大の1つですが、入試問題の難易度は東工大ほど高くはないと考えていました。「ま、さすがに早稲田くらい受かるっしょ~」と舐めた考えに浸りながら、早稲田大合格に向けた勉強を進めました。

センター試験後

消化試合だったセンター試験を適当に終える

初めて受けたセンター試験は、950点中、754点。決して良い結果とは言えませんが、満足していました。というのも、早稲田大はセンター試験の結果が合否に関係なかったからです。

また、一応東工大にも出願していたのですが、こちらも「センター試験で600点以上であればみんな一緒」という評価方法であったため、やはりこの点数で全く問題ありませんでした。

現役の時に受けたセンター試験の結果
現役の時に受けたセンター試験の結果

2次試験対策が危機的な状況だったため、浪人を視野に入れ始めた

で、肝心の2次試験に向けた勉強なのですが……私は焦っていました。「早稲田大も、受からないかもしれない」という感覚が、徐々に大きくなっていたからです。あまりにも勉強不足でした。

「まさか、早稲田大に落ちるということはないだろう」と思ってはいたのですが、受験では何があるかわかりません。

万が一浪人生になったときのことを考えて、駿台予備学校と河合塾のパンフレットを入手し、浪人生向けの授業などについて徹底的にリサーチしました。このとき、浪人生は朝から晩まで授業があることを知り、ものすごく驚いたことを覚えています。

そして、「万が一、浪人したら、駿台予備校のお茶の水校のスーパー東工大コースに行こう」と決めました。入校に必要な手続きなどについても、ほぼ完ぺきに覚えました。まだ早稲田大の受験すら始まっていないというのに、浪人に向けた準備は万全でした。

まさかの早稲田大不合格

早稲田大の入試の手ごたえは、何とも言えないものでした。合格したような気もするけれど、不合格の可能性も全然あり得ると、そう考えていました。

早稲田大の合格発表日は、東工大の2次試験の2日目の朝でした。東工大はほぼあきらめていたので、初日の試験は適当に解答し、そして2日目、早稲田大の合格発表日を迎えました。私は、東工大の試験会場から震える手で合否の確認電話をかけ、そして、、

「残念ながら、不合格です。」

不合格。

なんだかんだ言って、心のどこかでは合格を信じていたので、大変なショックでした。正直、浪人が決まった実感を得るまで、1週間くらいかかったと思います。

2次試験終了後

東工大の不合格を確認し、駿台に入校

「一応、駿台の入校手続きは東工大の不合格を確認してからにしよう」ということで、東工大の合格発表日までダラダラ過ごし、そして東工大にもしっかり落ちました。

その後、これまでの準備をフルに活かし、スピーディーに駿台に入校しました。「絶対一番乗りだろ!」と思っていたのですが、のちに2番だったことがわかりました。

こうして、見事に1年間の駿台生活を送ることが決定しました。

駿台の春期講習で衝撃を受ける

浪人生の授業が本格的に始まるのは、新年度、つまり4月からです。しかし、駿台では3月から春期講習を実施していたため、私は積極的に参加しました。

実は、この「春休みに春期講習に参加した」というのが、私の浪人生活を成功に導いた大きな要因となったのですが、その時はまだ気づいていません。とにかく、必死で授業を受けました。

そして春期講習で衝撃だったのは、「予備校の授業、めちゃくちゃわかりやすい!!」ということ。

私の高校は、毎年東大合格者を数十人輩出するようなそこそこの進学校で、授業のクオリティも予備校に負けない…と信じていました。しかし、まさか予備校の授業がここまでわかりやすいとは…。「こんなに違うなら、現役のときから予備校に通うべきだった」と、後悔しました。

さて、春期講習ではいろいろな科目を受講しましたが、特に英語の授業が素晴らしくわかりやすく、英語力が劇的に向上した実感がありました。この時点で、周りの浪人生に比べてかなり差をつけられていたのだと思います。

浪人前半:春期講習のおかげでスタートダッシュに成功

春~初夏

同じクラスに知り合いが多数

4月になり、晴れて私は正式な浪人生になりました。

周りを見渡すと、見知った顔がたくさんいます。というのも、私は全国でも有数の高浪人率の高校に通っていたため、同じクラスに同じ高校出身の友人が何人もいたのです。

いま考えれば、この「一緒に浪人する友人がいる」という状況は、かなり精神的な助けになっていたように思います。

意味のない授業をどんどんサボった

さて、授業は相変わらず高レベルでしたが、私は「自分に合わない授業は積極的に休む」というスタイルで授業を受けていました。

例えば、東工大や早稲田の受験において、国語という科目はまったく必要ではありません。そこで、国語の授業の時間は、勝手に教室の外(フロンティアホール)で自習をしていました。

模擬試験でクラス1位を獲得

そんなこんなであっという間に月日が流れて6月になり、浪人生にとって最初の大きな模試、「第1回 駿台全国模試」が開催されたわけですが…なんと、私はその模試でクラス1位となりました。

当然ながら東工大は余裕でA判定。この瞬間、「あ、これは合格できるぞ」という自信がつきました。

模試でA判定がこんなに並んだことに感動を隠せなかった

私が6月の時点で好成績を取れた理由は、春期講習にあると考えています。ほとんどの浪人生が、春休みを休息期間と捉えていたのに対し、私は春期講習を通じて徹底的な基礎固めを実施していました。これにより、春から初夏にかけてスタートダッシュを決めることができたのです。

夏休み

受験の天王山と言われる夏休みですが、私はスタートダッシュをうまく決めていたこともあり、比較的心に余裕をもって過ごすことができました。

夏期講習をたくさん受講していたものの、気分が乗らない日は夏期講習をさぼってハイキングに行ったりもしており、焦りはほとんど感じていなかったように思います。

正直、夏の勉強量は周りの浪人生よりも少し少なかったと思います。とはいえ、春~初夏にかけての貯金のおかげもあり、模試の成績は上位をキープできていました。

浪人後半:模試の成績に陰りが出始めるも、気象大学校の受験で手ごたえをつかむ

秋~年末

夏にサボった影響で模試の成績に陰りが出始める

秋になると、模試の成績にやや陰りが出始めました。東工大は何とかA判定をキープしていましたが、夏までの「余裕でA判定」という状況ではなくなっていました。

これは、夏休みの勉強量が周りに比べて少なかったことによるものと思われました。このあたりから現役生の追い上げが始まることも分かっていましたので、私は一段階ギアを上げて勉強に取り組むこととしました。

過去問を一回も解かずに気象大学校を受験

そんなことをしているうちに、11月になり、気象大学校の受験日になりました。気象大学校は防衛医科大学校等と同様、11月に1次試験(筆記試験)を実施する特別な学校なのですが、腕試しの意味を込めて出願していました。

(実はもともと腕試しとして防衛医科大学校を受験するつもりでいたのですが、出願ページで気象大学校の存在を知り、急遽予定を変更して気象大学校に出願しました。)

気象大学校1次試験の難易度は、おおよそ京都大学と同様という評価が多かったのですが、一部には「東大より難しい!」という話もありました。本気で合格を狙っていなかったため、過去問は1回も解かずに試験会場に向かいました。

気象大学校の受験で手ごたえをつかむ

ところが、予想に反して気象大学校の受験はものすごい手ごたえがありました。

特に物理に関して、「難しいから半分取れれば十分だ」と風の噂で聞いていたのですが、9割ほど解けた感触がありました。

そして12月、見事1次試験(筆記試験)に合格したことが通知されました。ここで、夏以降失いかけていた一気に自信を取り戻しました。

センター試験

全く対策せずに2度目のセンター試験に挑んだ

人生で2度目のセンター試験がやってきました。今回は現役の時とは違い、東工大のAO入試に出願していました。

AO入試では、まずセンター試験で足きりが行われ、その後に筆記試験と面接が課されるのですが、このセンター試験の足切りラインは950点中の800点前後と予想されていました(実際にはもっと下だったようですが)。したがって、現役の時と同様の点数では、足切りを突破できないと考えられました。

とはいえAO入試のためだけにセンター試験対策をする気が起きず、結局1年間を通じて一度もセンター試験の過去問を解かずに試験当日を迎えることになりました。

センター試験当日にまさかの高熱が

ここで、人生最大の試練が訪れます。なんと、センター試験当日に38度の高熱を出してしまったのです。

今までにない事態でした。こうなってしまっては、AO入試の足切りが云々どころではありません。ボロボロでもいいので、東工大2次試験の足切りラインである600点を超えることだけを目指すしかありません。

だるい体を引きずって、センター試験に向かい、何とか2日間の試験を終えました。

無事にAO入試の足切りを突破

そして結果は…950点中、830点。

数学で2科目とも満点を逃したのが悔しくて仕方ありませんでしたが、物理と化学は満点でしたし、発熱があったにしては上出来でした。

無事に東工大のAO入試の足切りラインも突破し、心底ホッとしたことを覚えています。

浪人の時に受けたセンター試験の結果
浪人の時に受けたセンター試験の結果

センター試験後

気象大学校に合格し早々と2浪を回避

センター試験を終えてすぐに、気象大学校の2次試験があり、無事に合格。晴れて気象大学校の入学資格を得ることができました。

これで、2浪の可能性がなくなったため、さらに心に余裕ができました。周りの浪人生に対して、精神的に大きなアドバンテージを得ていました。

東工大のAO入試に合格し、浪人生活を終える

その後、東工大のAO入試を受験し、こちらも合格。東工大の2次試験はおろか、早稲田大や慶應大すら受験することなく、私の浪人生活は終わりました。

総括

浪人は基本的におすすめです

私の浪人生活は、

「前半で一気に周りを突き放して、心に余裕を持った状態で最後まで駆け抜ける」

というスタイルでした。気象大学校や東工大に合格できたのは、すべて春休みに徹底的に勉強したおかげだと思っています。浪人生はぜひ、早めのスタートダッシュを心掛けると良いと思います。

また、私はこの成功体験を通じて、基本的に浪人に肯定的な立場を取っています。以下の記事では浪人がオススメな理由を書いておりますので、ぜひご覧ください。

浪人する際の注意点

ただし、浪人するうえで注意すべきこともあります。例えば、志望校に合格できないからと言って浪人を続ける「多浪」はかなり危険です。浪人する際の注意点については以下の記事でご説明しておりますので、こちらも併せてご覧ください。