今日は2021年の3月11日。
10年前、東日本大震災が発生しました。
震災当日の私
その日は、高校の学年末テストの最終日でした。
昼過ぎにテストから解放された私は、高校を飛び出すとそのまま1人で秋葉原に遊びにいきました(当時は、暇を見つけてはふらっと秋葉原に行くようなオタクだったのです)。
そして、ヨドバシAkibaのゲーム売り場で、真・三國無双6の公式攻略本を読み始めた14時46分、大きな揺れに襲われました。
当初は電車による揺れかと思ったため、しばらく攻略本を読み続けていたのですが、あまりの揺れの大きさに、その場に座り込みました。
天井の蛍光灯が落ち、商品棚が倒れ、店員さんに誘導されて店外に避難することに。ほとんどのお客さんは落ち着いて行動しており、トラブル等は起こりませんでした。
外に出ると、割れた窓ガラスがアスファルトの上に散らばっており、相当な揺れの大きさであったことを実感しました。
東日本大震災直後、騒然とする秋葉原
移動しようにも、当然電車は止まっています。
当時はスマートフォンなど持っていませんでしたし、メールも電話もほとんど繋がらない状態だったため、しばらくは震源の場所や震度の情報などが一切わかりませんでした。
状況が落ち着くまで何もできなかったので、しばらく秋葉原の街の様子を見て回ることにしました。
ほとんどのお店は臨時閉店となっていましたが、唯一、外国の方が営んでいたケバブ屋さんだけが延々とケバブを売り続けていたことを覚えています。
そして電気街に向かうと、たくさんのメイドさんが道路に避難されていました。メイドさんの数が本当に多くて、「この街にはこんなにたくさんのメイドさんが働いていたのか!!!」と衝撃を受けました。
この写真は、かの有名な秋月電子さんの前で撮影した写真です。
既に本震発生から30分以上が経過していましたが、まだ余震が続いており、多くの人はこうして広い駐車場で状況が落ち着くのを待っていました。
こちらの写真は、本震発生から50分ほど経った、秋葉原ダイビルのエクセルシオール前の様子です。
交通機関はほとんど止まってしまったため、多くの人々が何もできずに立ち尽くしています。
こちらの写真は、本震発生から1時間半近く経過したときの、秋葉原駅の様子です。
改札の前に人が溢れています。結局、この日JRは、最後まで電車を動かすことはありませんでした。
秋葉原を離れた後の私
秋葉原にいても仕方ないと考えた私は、山手線に沿って徒歩で池袋駅に移動することにしました。
とはいえ、当時はスマートフォンなど持っておらず、地図の情報が一切ありませんでした。
上野駅まではスムーズに移動できたものの、その後に近道しようとして道に迷い、おそらく駒込駅の周辺で道が良くわからなくなりました。
仕方ないので、とりあえず近くのバスに乗ったところ、王子駅まで移動することができました。
当時、私は王子駅なんて聞いたことも無かったのですが、王子駅から池袋駅行きのバスが出ていたため、それを利用して池袋駅に移動することができました。
あの日、バスを運行してくださったバス会社さん、バスの運転手の方々には、本当に感謝しております。
池袋駅に到着したのち、あの日唯一機能したコミュニケーションツール「mixi」を使って幼馴染と合流し、深夜に動き出した西武線に乗って家に帰りました。
改めて震災当日を振り返って
10年が経ち、当日の記憶が徐々に薄れていることを感じます。
あの日を忘れないために、ここに当時の記録を残します。